・初代金之助が本山の財政再建に尽力した情況が分かる資料を集めて掲載してます
・東本願寺の年表と井上馨と初代金之助の書籍から引用しました
▶ 東本願寺の財政再建を調べた経緯
・明治24年から39年の本山財政再建に神野金之助が大きくかかわった
・神野家の身内の不幸が38年に集中したが、本山の財政再建が切迫していた時期であった
・財政再建は神野金之助の「カミノ」への改称や金之助の行動に付いても影響を受けたと推測する
▶ 調査後の管理人の所感
・「カミノ」への改称は明治40年と考えられるが、39年は喪中での財政再建の真っただ中である
・明治40年に大木豊子と再婚するが、明治40年が心機一転の年で改称年であったと考える
・明治37年の貴族院議員就任は財政再建を有利に進めるためとも考えられる
▶ 東本願寺の騒動の原因概要
・親鸞650回大遠忌に間に合わせるための本堂と御影堂他の建立による多額の資金調達が必要であった
・債務を続ける石川舜台という人物を本山がたびたびの役員へ徴用するという不可解な人事
・光瑩、光演親子の財政再建取り組みと、債務に対する本山の危機感の低さ
▶ 当時の仏教会
・明治政府が明治元年に「神仏分離令」をだして仏教会を崩壊させようとした
・有名寺院の法主は明治5年に明治政府から「華族」を与えられ、その後「位階」が急激に上げられていく
・「神仏分離令」を御旗にした「廃仏毀釈」運動で寺院が衰退するが、明治10年頃以降は中国や韓国への
布教で息を吹き返して行った
▶ 石川舜台が面白い
・とにかくメチャクチャな坊主で、石川がいなければ明治の東本願寺騒動は大事にはならなかったかも
・この類の人間を押さえ込むには、国会議員の様な権力がある人が必要かも